1890(明治23)年、帝国ホテルの開業を記念したものです。
これは当時日本に外国人VIPを泊められるような立派なホテルがなかったこと から、
時の外務大臣・井上馨が音頭を取り、VIPを迎える立場である宮内庁が
当初の資本金の約2割にあたる5万円もの出資をして建設されたものです。
まさ に国家事業として作られたものであり、6年前にオープンした鹿鳴館に続いて
日本が「西洋並み」であることをアピールして、不平等条約を改訂するための 材料とする
意図がありました。 建物はルネッサンス風の煉瓦造り3階建てで、60の客室のほか、
舞踏室や 音楽室などを備えたものでした。鹿鳴館は当時の西洋人たちに
「場末のカフェ みたいだ」と酷評されてしまったので、さらに設計者がセンスを磨いて
作り あげたものです。1892年には株主の一人浅野総一郎のお嬢さんが結婚式を 挙げ、
これがホテル結婚式の最初といわれています。